競技特性を活かすスポーツ栄養とは

ホームメイドクッキング×東京家政大学×RanRun スポーツ女子の「食」を支える 第1回東京家政大学とトップアスリート座談会 「-競技特性を活かすスポーツ栄養とは?-トップアスリートの経験談をヒントに考える」後編をお届けします。
前編の記事はこちら(https://ranrun.jp/foods/foodsevent-160920)
-現役時代、そして引退後の食事のこと-
田中:ここぞ!という時の「勝負メシ」はありましたか?
加藤:高校ぐらいまでは、先ほども言った「きしめん」を食べていました。現役時代は、力にするためになんでも食べていましたね。海外に行った時も、食べられるものがなくても食べなければなりません。ロンドン五輪の時は、マルチサポートハウスで日本食が用意されていてとても助かりました。
内野:どんな状況にあっても、何でも食べられる胃腸を鍛えることもアスリートに必要なトレーニングだと思います。とはいえ海外に行くと日本食、特においしいお米の有り難さに気づくアスリートが多いですね。
新井:引退後、食事面で変わったことなどはありますか?
加藤:水泳選手は運動量が多いので、引退後は約7~8㎏太ってしまうと聞いていました。私も気を付けようと思っていましたが、現役時代と食べる量がなかなか変わらず、1カ月で5㎏増えました。1年で元に戻しましたが、どんなものを食べていいかわからないので、食べる量を減らすしかなくて。引退後の食事指導なども教えて欲しかったですね。
内野:アスリートの引退後の人生設計を考えるセカンドキャリア教育が注目されています。
その中に食事指導の必要性も発信していきたいですね。
-スポーツ栄養を学ぶ学生に向けて-
平井:「スポーツ栄養士」との関わりがありましたか。
加藤:学生の時は、食事について特に教えてくれる人がいなかったので、「食」の大切さに気づく機会がなかったですね。JISS(国立スポーツ科学センター)でお世話になり始めてから、栄養士と関わるようになり、「なんでも口にすれば強くなれるというわけではない」と気づきました。
ロンドン五輪の時は、身近にいた栄養士さんが大会に付いてきてくれたので、自分のことを常にわかっている人がいることはとても心強いものでした。
内野:2008年に公認スポーツ栄養士という資格ができました。日本代表選手のようなトップレベルの選手を中心に、所属先にも専属の栄養士を設ける組織が増えてきています。アスリートを支える食の専門家としての栄養士への期待が大きいことを感じます。
田邊:「スポーツ栄養士」に求めることはありますか。
加藤:一番求めることは信頼関係を築いていくことですね。
栄養学的な正論だけでなく、選手のことを考えて提案してくれる栄養士さんが良いですね。あるべき形を押し付けるのではなく、その選手のことをわかったうえで提案してくれた方が、信頼してついていきたいと思うようになりますね。
-スポーツに取り組む学生に向けて-
田中:スポーツをする大学生に向けてメッセージをお願いします。
加藤:私はスランプばかりの水泳人生でした。スランプは1人では抜け出せません。私が抜け出すことができたのは、食事とのかかわりがとても大きいものでした。食事を作ってくれた母親、大学近くの食堂の協力など、いろいろなことが重なって今の自分があります。
学生時代にしっかりと体を作ることで、社会人になってちゃんとした体ができあがります。しっかり作ってから、体を磨いていけばいいのだと思います。
また、「好き嫌いはしない」という教育が大切だと思っています。学校給食で好き嫌いを無くす取組みをしていきたいですね。小さい時は何を食べても成長するかもしれませんが、大学生くらいになると、色々と考えて食べなければなりません。いっぱい食べるのはいいけれどバランスなどを考えて食べることが大切です。
-選手時代のことをあらためて聞いてみました-
水泳を辞めたいと思ったことはありましたか?
加藤:何度もありますよ。本気で辞めようと思ったのは2回ですね。
高校3年生と大学4年生(北京五輪の時)の区切りのいい時に辞めようと考えていました。
高校3年生の時は「水泳が本当にやりたくない!やめたい!」と思い、母に「やめてもいいかな」と相談しました。母は「やめてもいいよ」と一言。怒られると思っていたので、思いもしない言葉に驚き、逆に気持ちに火が付き続けていくことができました。引退後、母に「やめてもいいよ」と言った理由を尋ねると、「苦しい時に刺すような言葉を言ったら本当にやめると思ったから」と言われました。
大学4年生は北京五輪の年で、五輪でいい結果を残して引退しようと思っていたけれど、良い結果を残すことができず悔しい思いをしたので、「このままじゃ辞められない」という気持ちが強く、続ける覚悟を決めました。それからもたくさんの困難と苦労がありましたが、続けてきたお陰で、ロンドン五輪で銅メダルを獲得することができました。
泳ぐ前に必ずやっていたルーティンなどはありますか。
加藤:元々緊張しやすい性格です。試合前は人と話したり、音楽を聴いたりして緊張をほぐしていました。北京五輪の時は緊張におしつぶされて結果を出せませんでした。その経験を活かして、ロンドン五輪ではメダルを獲ることができました。
音楽はどんな曲を聴いていましたか。
加藤:ナオト・インティライミの「ブレイブ」とleccaの「ちから」を特に聴いていました。
スタートする直前は、どんなことを考えているのですか?
加藤:「やってやるぞ!」という気持ちしかなかったですね。そういう気持ちがなかったり、隣のレーンの選手が気になったりした時は、結果はいつもよくなかったです。
-今後のビジョンについて-
加藤さんの現在のお仕事と今後のビジョンを教えてください
加藤:現在は板橋区でスポーツ大使やスポーツプロモーターとして働きながら、イベントなどで全国を周って水泳を教えています。模範で泳いだりするので、今もそれなりに泳げるように練習したりしています。もともとウエイトトレーニングが好きで、旦那さんとジムに行ったりもします。
板橋区の仕事でオリンピアンとして水泳を教える機会をいただいています。苦手なことでも挑戦できるような指導を心がけていきたいと思います。
マスターズで世界記録を出しました。いつかママになっても、マスターズで記録を出したいですね。
-加藤さんの話を聞いた学生たちに感想をききました-
新井:トップアスリートの言葉には、重みがありました。自分は陸上を引退後は、不摂生な生活をしていましたが、食事は大事だと思いました。アスリートの栄養士として仕事をしたいと思います。
平井:加藤さんの話には、お母さんやコーチなど色々な人が出てきました。多くの方々との信頼関係が、メダル獲得につながったのだと思います。私も人との縁を大切にして、信頼関係を築ける人になりたいです。
田邊:人との信頼関係の大切さを学びました。周りの人の支えがあってスランプを抜け出し、今の加藤さんがいるということ。自分も周りの人を大切にしたいです。
田中:加藤さんから人の思いに気を留めたり、感謝する姿勢を学びました。お話を聞くことができて、一生心に残ると思います。
-加藤さんからのサプライズ!ロンドン五輪のメダルが登場しました!-
会場内は大盛り上がり!メダルを首からかけてもらい、学生達は大感激でした。
★★★
重大発表です!今回の座談会の内容を踏まえて、レシピコンクールを開催します。
第1回スポーツ女子の「食」を支えるレシピコンクール
競技特性を考えたレシピを考えて、どしどし応募してください!
第1回の課題は、「水泳」です。
レシピコンクールの詳細はこちら⇒https://ranrun.jp/recipe
取材 甲斐瑛美子(昭和女子大学2年)
<プロフィール>
加藤ゆか(板橋区スポーツ大使)
生後6ヵ月でベビースイミングに通い始め、小学生時にジュニアオリンピックで優勝。
中学生時代には全国中学校水泳競技大会で3位、高校時代にはインターハイで4位入賞を果たしました。山梨学院大学進学後、2006年に日本選手権水泳競技大会、女子50mバタフライ優勝、アジア競技大会、女子50mバタフライで銅メダルを獲得しました。2007年のユニバーシアード大会では、女子400mメドレーリレーで金メダル、女子50mバタフライで銀メダルを獲得。2008年には北京オリンピックに出場しました。大学卒業後は、東京スイミングセンターに所属。北島康介らを育てた平井伯昌コーチの指導を受け、日本選手権優勝や日本新記録樹立など活躍。2012年には2大会連続となるロンドンオリンピック出場を果たし、女子400mメドレーリレーで銅メダルを獲得しました。2013年に現役を引退し、現在は板橋区役所スポーツ振興課でスポーツ大使兼スポーツプロモーターとして働きながら、全国各地で水泳教室を行うなど水泳の普及などに携わっています。
<株式会社ホームメイドクッキング>
全国で料理教室・パン教室を展開しています。
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