BITS代表TAKAO「どんな自分になりたいか」を意識する

先達に学ぶ第10回は、幼稚園教諭を経てダンスの指導者となり、ダンススタジオの運営の他、母子支援、イベント開催など地域貢献などでも活躍するTAKAOさんに話を聞いた。
人生何がどうなるかわからない
TAKAOさんとダンスの出会いは、短大2年の時だ。創作系ダンス部で活動する友人に、学園祭公演にヘルプで出演して欲しいと頼まれた。ダンス経験は無かったが、「ジャネットもあるよ」という誘い文句に心が動いた。「やるなら、ちゃんとやりたい」練習に参加し、学園祭のステージで踊った。それが縁で、専攻科に進学した時にはダンス部副部長になった。
卒業後、ダンス部の部長・副部長経験者でユニットを組みダンスコンテストに出ようと声がかかった。このダンスコンテスト出場がきっかけで、ストリート系のダンスに出会うことになる。
高校時代、国語教師を志していたTAKAOさんは、大学受験に失敗。浪人するか迷った末、短大の幼児科に進学した。始めは、授業にもあまり興味を持てなかったが、「人間形成において幼児期がいかに大切か」を知り、幼児教育への関心が強くなった。専攻科に進学したのは、学年で1名だけ。午前中は付属幼稚園で実習、午後は教授と1対1の授業。毎週レポート提出に追われた。ここで子供の個性を尊重する教育を学び、自分なりの保育観を確立、自信がついた。「先生のように幼稚園教諭になる人を育てる仕事をしたい」教授に相談すると、幼稚園教諭を経験し実践を積むことが必要だと指導された。
就職した幼稚園は、教育の場ではあるが、オーナー企業でもあった。教育観の違いと労働環境にストレスを溜めてしまい、体を壊した。人生の中で一番辛い時期だったと振り返る。最低3年は勤めなければと自分に言い聞かせ、辞めるなら担任を経験してからと心に決めていた。3年目に担任を経験、体を休めるために退職した。今にして思えば、スキルとメンタルが鍛えられた3年だった。1年休養したら、次は失敗しない幼稚園選びをしようと思っていた。
幼稚園に就職して半年した頃、前述のダンスコンテストで出会った男子のロック(ダンスのジャンル)チームと知り合い週1回の練習が息抜きになっていた。ダンスコンテストは、新たな出会いの場でもある。就職して2年目、このチームで出場したコンテストで、母娘でユニットを組みカッコよく踊る女性インストラクターと出会う。退職して休む間、教室の手伝いをできたらと話すと歓迎してくれた。その方の元でダンスを基礎から習いながらアシスタントとして過ごした。幼児教育の知識とスキルが、ダンスの場で活きることを知る。
KIDSクラスといえども、ダンススキルは高かった。アシスタントという形で入った以上、子供たちに負けてはいられない。プレッシャーがいい刺激となり、本気でダンスと向き合った。当時、ストリート系のダンススクールなど殆どなかったこともあり、多くの子供がレッスンに来ていた。そんな中、なかなかコツを掴めないでいる子達の様子が気になった。「少人数で個々に教えてあげたい」TAKAOさんの教育観が頭をもたげてきた。
ダンススクール立ち上げ
アシスタントを続けながら、自分も少人数で教える教室をやってみたいと相談した。「やってみたらいいじゃない」許可とともに、アドバイスもしてくれた。自分を成長させてくれる周囲の人との出会いに感謝した。
市の近隣センターを借りて、T-SKOOLがスタートした。小学校低学年から大人まで年代もバラバラ。小さい子供たちにはHipHopを中心とした基礎クラス、大きい子供から大人にはロックダンスクラスを作り、サークルのような教室だった。
「ダンスは心にも体にもいいもの。子供たちの心が解放される様子が嬉しい」幼稚園や学校と違い、学年が変わっても子供たちはレッスンに通ってくる。楽しくて辞められない。幼稚園教諭に戻るのではなく、ダンスインストラクターとして子供たちを育てる道をみつけた。
STREET DANCE STUDIO BiTS
28歳の時、T-SKOOLをダンス仲間に預け、3カ月ニューヨークに修行に出た。日本からダンス修行に行く若者は多い。ここでも大きな出会いがあった。3人でチームを作り、ダンスイベントの出場、インディーズのバックダンサー、自主製作映画にダンサーとして出演した。ハーレムYMCAで子供たちの世話をするボランティアも行った。ろくに英語もできなかったが、子供たちが受けいれてくれたことが嬉しかった。
この時の仲間の一人が地方でダンススタジオを主宰しており、色々な話を聞いた。帰国後、T-SKOOLや雇われ先で教えながら、スキルアップしてきた生徒のことを考えた。教えられる人を雇ってスタジオをやれば、色々なスタイルのダンスを学べる環境を作ることができる。スタジオ開設に向け、TAKAOさんは動き出す。
2005年ダンススタジオ『BiTS』を立ち上げ、今年で11周年を迎えた。幼児からシルバーまで幅広い年齢層が通い、会員数は800名を超える。先日、起業家取材をしている大学生から取材を受けた。TAKAOさん自身は、自分が起業家だとは思っていなかったそうで、「なんで私?」と驚いたと笑う。

写真提供 ダンススタジオ 『BiTS』
スタジオに通う子供たちのためにダンスイベントを企画し、既に33回目を迎えた。
イベントを始めたきっかけは、当時は深夜に開催されるダンスイベントが多く、子供が出られるイベントがなかったからだ。今でこそ、子供のダンスイベントはあちこちで開かれるが、当時は大人と子供が一緒に出られるイベントは殆どなかった。
TAKAOさんが開催するイベント『GATE』は、子供も大人も出演できるため、子供たちに大人の本物のダンスを見せることができる。それも狙いだった。
とはいえ、イベントの運営は大変だ。広報活動から出演交渉と多忙を極める。自身が出産したこともあり、子育てとの兼務は本当に大変で、開催を止めようと思った時期もある。しかし、出演したい人がいるのも事実。イベントの盛り上がりを見ればやってよかったと思えるし、人とのつながりも増えていく。現在は年1回ペースで開催をしている。
スタジオの経営も簡単なことではない。生徒獲得のためには、目玉となるインストラクターも必要だ。BiTSでは、クランプやシカゴフットワークといった新しいスタイルのクラスがある。千葉県で習えるのは、現在BiTSだけとあり、遠くから通う生徒もいるそうだ。
BiTSで育った子供たちが今、インストラクターやダンサー、アイドル歌手など、多方面で活躍している。コンクールで入賞するチームも多数排出してきた。しかし、一番嬉しいのは、華々しい活躍よりもひとりひとりの成長やイキイキしている表情を見ること。いつか教え子の中から、指導や経営に携わるメンバーが出てきたら嬉しいと言う。

写真提供 ダンススタジオ 『BiTS』
母子支援の市民活動として親子サークルも行う。2週間に1回、母子のふれあいの時間を目的に親子HIPHOPを担当。市からの委託で、年に1回保育園などへ出講する。
まだまだ、やりたいことがたくさんある。ダンスを教えなければならない体育の先生達にダンスの楽しさを伝えることを教えたい。指導者を育てたいという思いは、学生時代に描いていた夢と一致している。
学生へのメッセージ
人生、何がどうなるかわかりません。夢や展望が見えなくなる時もあります。そんな時はまず、目の前のことを一生懸命やろうと思っています。「何をしたいか」よりも「どんな自分になりたいか」を意識すると、どんな状況でも進む方向を見失わないと思いますよ。
<プロフィール>
TAKAO
ダンススタジオ 『BiTS』 代表
http://bits.moo.jp/studio/
RanRun yukiyanagi