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パラアスリートとしての自覚はいつ生まれた?

パラアスリートとしての自覚はいつ生まれた?
ピープル 2016/11/18

2016年夏、リオ五輪・パラ五輪で女子大生アスリートの活躍にワクワクした人も多かったことだろう。ヤマハ発動機スポーツ振興財団シンポジウム2016「障害者スポーツ選手発掘・育成システムのモデル構築に向けて」が11月5日、御茶ノ水ソラシティで開催され、リオパラ五輪に出場した競泳の一ノ瀬メイ選手(近畿大学)と陸上の辻沙絵選手(日本体育大学)もパネリストとして登壇した。

 

ヤマハ発動機スポーツ振興財団は、「障害者スポーツを取り巻く環境調査」に取り組んでおり、調査結果の報告の一環としてシンポジウムを開催している。今回は、障害者スポーツ選手のキャリア形成や競技練習活動の環境などについての調査報告と共に、「選手発掘・育成の現場からの声」と題したパネルディスカッションが開催された。

 

女子大生アスリートである一ノ瀬選手と辻選手が語ったことをここでご紹介する。

 

一ノ瀬メイ

 

一ノ瀬メイ(いちのせ・めい)選手(リオパラリンピック競泳日本代表)
現在、近畿大学体育会水上競技部に所属する一ノ瀬選手は、1997年3月生まれの19歳。

 

一ノ瀬メイ

 

写真撮らせてとお願いすると、「じゃぁ、あそこがいいんじゃない?」と自ら誘導し、メイスマイルをカメラに向けてくれた。

 

モチベーションをあげる曲はCharlie BrownのOn my wayだそうで、試合の前だけでなく、負けてしまった時など、色々なシーンで聴いていると教えてくれた。

 

水泳を覚え、9歳で4泳法を習得した。先天性右前腕欠損症のため人より右腕が短い。しかし、学校では学年でトップクラス。パラリンピックのことを知り、自分もアスリートを目指したいと思った。アスリートコースを擁する京都のスイミングスクールに入会を希望したが、泳ぎを見ることもなく断られたそうだ。「ショックだった」9歳で味わった悔しさ。

 

このことをきっかけに、一ノ瀬選手の母はイギリスの大学院に留学する。同行した一ノ瀬選手もイギリスのスイミングスクールには難なく入れたそうだ。健常者も障害者も一緒に練習する。9歳にしてイギリスの選手層の厚さを実感した。

 

一ノ瀬メイ

 

帰国後、腕が短くても入れてくれるスイミングスクールを探した。
中学校には水泳部が無かったため、陸上部に入部。陸上部の練習を終え、帰宅してからスイミングスクールに通った。中学2年でアジアパラ競技大会に日本代表として出場する。

 

高校では水泳部に所属。高校3年の時、イギリス、ドイツと遠征する中で「世界の選手と競えるようになりたい」と強く思うようになったそうだ。
水泳メインでの進学を考え、近畿大学に入学する。

 

大学の水泳部40人の中で障害者は一ノ瀬選手一人だけ。入部当初は苦労したそうだ。
練習量は他の人の2、3倍。それでも抜かされる練習ばかりだった。自分に合った練習をさせてもらえるように、自分から動いた。
チームにコーチは一人。他の選手と同じアドバイスが当てはまらない時もある。コーチにパラ競技について知ってもらうところから始めた。
「チームのみんなが応援してくれる。チームに入って競泳をやっていることに、誇りを感じています」と笑顔で語った。

 

【パネルディスカッション】
コーディネーターを務めた齊藤まゆみ氏(筑波大学体育系准教授)から質問。

 

―アスリートとしての自覚が生れたのはいつか―

ロンドン大会出場を逃した時、一ノ瀬選手は高校(英文科)の海外研修に参加し、3週間水泳から離れてホームステイを満喫した。その時に、「なぜ、自分は水泳をするのか」と考えたそうだ。「自分にできることは、水泳を通して発信すること。だからトップを目指す」この時、パラアスリートとしての自覚が明確になったと答えた。

 

―選手育成の段階で必要なことは―

「(障害者が)速くなるような練習をする環境を整えるまでが大変」と話し、プールの確保、専門知識を持った監督やコーチが付くなど、タイムを出すまでの道のりが長いと語っていた一ノ瀬選手。
質問に対しては、「水泳はスイミングスクールから専門性を持っているので、小さい時に泳ぎこめる場所が必要。気軽に始められる環境が大切」と答え、9歳の時にスイミングスクールから拒否されたことを示し、「自分は出遅れたために、取り戻すのに必死でした」と話した。

 

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辻 沙絵(つじ・さえ)選手(リオパラリンピック陸上日本代表・400m銅メダリスト)
日本体育大学陸上競技部4年の辻選手は、小学校5年生からハンドボールを始め、インターハイや国体で活躍してきた。先天性前腕欠損症ではあるが、健常者と一緒に戦ってきたアスリートだ。

 

辻選手は、日本体育大学へもハンドボールのスポーツ推薦で入学した。しかし、大学2年の時に障害者競技への転向を打診される。「健常者の中でやっていたのに、今さらなぜ障害者競技なのか」悔しかったと振り返る。

 

「陸上でメダルを獲る!」気持ちを切り替え、陸上競技部に転部した。
陸上競技部はベストな環境を整えサポートしてくれた。主なサポート体制としては、「体力測定・走速度測定」「ベストな練習環境の提供」「金銭面でのサポート」「専門的な知識を持つ監督、コーチによる指導」を挙げる。

 

「私はハンドボールをやっていたので、陸上のことはなにもわかりませんでした。監督、コーチが専門知識を持っていたので、陸上に転向して1年半で銅メダルを獲得することができました」と語る辻選手。専門知識を持った監督、コーチによる指導の必要性を強く訴えていた。

 

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また、女性コーチやスタッフを増やして欲しいと話す。
リオパラ五輪では、女性スタッフが少なかった。
片腕で着替えるのは大変だ。陸上選手はゼッケンを前後に付けるが、背中のゼッケンを自分一人では付けられない。
ドーピング検査の時も、採尿後のサポートを男性スタッフがしていたという。
女子アスリートにとって、女性スタッフによるサポートが心強いことは想像がつくことだ。

 

「パラはリハビリの延長ではありません」と言う辻選手。「パラも競技のひとつ。身体的な特徴を理解し、専門的な知識を持った指導者が必要」と語る。

 

【パネルディスカッション】

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―アスリートとしての自覚が生れたのはいつか―

ハンドボールを11年間やってきた辻選手は、当時からアスリートとしての自覚があった。
しかし、陸上に転向した当初は、パラアスリートとしての自覚は無かったそうだ。
「昨年の世界選手権(2015年カタール)で、男子走り幅跳びで山本篤選手が金メダルを獲得したことがきっかけとなって、自分もメダルが欲しいという気持ちとともにパラアスリートとしての自覚が生れました」と語った。

 

今の監督とは親子みたいと言われるという辻選手。コミュニケーションをしっかりとりながら、最後に練習メニューを決めるのは自分。ただ与えられるだけでは、やらされている感が強くなってしまう。「自分が選択できることが、今の監督のいいところです」と言い、「いろんなことも相談して、競技面だけでなく精神面でも必要な時に最適な声掛けをしてくれます」と満足気だ。

 

―選手育成の段階で必要なことは―

発掘の方法が、自分にはまったという辻選手。ハンドボールから転向する時、コントロールテストを実施した結果、陸上に決まった経緯がある。それを踏まえたうえで、
・スポーツ特性、能力を見極めてもらうこと
・海外遠征などの資金
・専門知識を持ったコーチ
を挙げた。

 

現在、大学4年生の辻選手。卒業後のビジョンについて「今の最高の環境を変えずにやっていきたい」と語った。

 

パネルディスカッションには、BOCCIAリオパラリンピック・ヘッドコーチの村上光輝氏、日本パラ陸上競技連盟理事長の三井利仁氏も登壇し、「障害があってもスポーツができる環境を整える」「適切にスポーツに親しめる指導ができる指導者」「情報提供」が必要との結論に至った。また、選手の発達段階に必要な支援ができるパスウェイとして、学校の理解と教員の育成という課題が加わった。

 

競技のことを熟知し、障害者の身体的特徴を理解した指導者の育成が必要だ。教師や指導者を目指すスポーツ女子は、新たな進路のひとつとして加えてみてはいかがだろうか。