• 火. 4月 29th, 2025

【ホンモノに学ぶ】私の頑張りで、続く人を動かしたい 鈴木沙織選手(フリースタイルスキー)

「大自然は、天気のいいとき悪い時、いろんな表情を見せてくれる。その中にいると、私は地球と生きている、と実感します」 ダイナミックな動きが魅力のフリースタイルスキー。
平昌五輪を狙うハーフパイプの鈴木沙織選手(城北信用金庫所属)に、競技の魅力とスキーへの想いを聞いた。

スキーとの出会い
山形に生まれ育った鈴木選手は、3歳の頃にはもうスキーをしていた。
小学校5年生から本格的にアルペン競技をはじめ、高校は地元のスキー強豪校へ。
卒業を前に、大学からスポーツ推薦の話も舞い込んだ。
しかし鈴木選手は、両親に安心してもらいたく手に職をつけようと美容学校に進学する。
「スキーってお金がかかるんです。競技をやるなら本気でやりたいけど、これ以上は親に迷惑かけられないな、と」
スキーを封印して美容師免許を取得、そして就職。
引っ越した家の近くに、室内スキー場があった。
一度そこで滑ってみると、もう気持ちが抑えられなくなってしまった。
しばらく悩み、「このままでは後悔する。
美容師はいつでもできるけど、選手は今しかできない」と復帰を決意。
父と母に、それぞれ手紙を書いて自分の気持ちを訴えた。
両親は娘の選択を認めてくれた。
実は、父は誰よりも、スキー選手である娘を自慢して応援してくれていたのだった。

フリースタイルで世界を目指す
復帰するからには世界の頂点を狙う。
そう心に決めた鈴木選手は、「一番戦える種目は何か」と考えて、フリースタイルスキーに転向する。
辻麻衣子選手(スロープスタイル)の動きにほれ込み、辻選手を指導していたコーチに「私を教えてください」と直接アタックした。
「スキーは一生続けていけるスポーツで、いろんな形があります。私にとってのスキーはひとつではないので、転向することに抵抗はありませんでした」

空中に大きく飛び上がるフリースタイルスキーだが、恐怖心はないのだろうか。
そう尋ねると、「転向したときはとても強気だったので、怖くなかったですね」と笑顔になった。
「でもその後いろんな経験をして、今は怖さもわかってきました。確実なやり方をしないと死んじゃうかもしれないし。でも、着実にやったら、必ずできる競技でもあるんです」

初めての大けが    
怖さを感じるようになったきっかけは、2012年12月の右足の前十字靭帯損傷だった。
ワールドカップ直前に戦線離脱。
翌年2月に手術、復帰は12月になった。
「長かった……」と鈴木選手。
しかし、これはいい経験にもなった。
「自分に何か足りないものがあったんだと。それに気付けたので、このタイミングでよかったな、と思いました。それまで大きな怪我もなかったので。……それと、今、私がめげずに頑張ることで、多くの人に見ていただき気持ちを共有していただけるかもしれない。私が辻選手を見て自分もこうなりたいと思ったように」

ワールドカップ断念、翌シーズンもポイント不足で出場できず――。
それを、「そんなに大変だったイメージはなくて、逆にちょっと楽しかったくらい。まわりの人に恵まれてるなあと実感しました」と明るく振り返る。
つらい時期を乗り越えて得られたものは、本当に大きかったのだろう。

そして2015年。3年越しでようやく出場したワールドカップ(ニュージーランド)では、堂々の4位に入賞した。

スキーにオフシーズンはない
フリースタイルスキーにとって一番大切なのは夏だという。
冬は成果を試すシーズン、これに対して夏はひたすら練習のシーズン。
「夏に頑張った人が、次の冬に結果を出しています。これはもうハッキリしていますね」
空中の技は、トランポリンでまず型を決めて、次にウォータージャンプで試す。
そこで8割できるようになってはじめて「山に持っていく」、つまりスキー場でやってみる段階になる。

筋力と持久力の両方が必要とされる競技なので、日々のトレーニングも欠かせない。
長いときには10時間も続ける。
「でもね、時間じゃないんですよ。集中してて気が付くと、え?もうこんな時間?みたいな」と鈴木選手。
飛ぶための瞬発力とスタミナをつけるために、1週間に600分走るトレーニングを取り入れている。

ライフスタイル
体調管理のために、色々な食材を数多く取り入れるよう心掛けている。
和食が中心で、鉄分補給のためにひじきを常備。
海外の食事は苦手なので、遠征のときには、「すし太郎」、だし、味噌汁の3点セットを必ず持っていく。
仲間に食事をふるまうこともある。

今26歳。
「勤めるようになって、ちょっとキレイな服が増えたかな」と笑う。
スキンケアの悩みは、スキー選手ならではの鼻の頭のピンポイント日焼けだという。

世界を転戦するためには英語、と考えて、週に1回教室に通っている。
「ひとりで海外の大会に出るくらいは何とかできるようになったんですが、空港に行ったら飛行機が全部キャンセルになっちゃって困ったこともありました」 そんなエピソードを、楽しそうに次々と披露してくれた。

社会人アスリートと学生の違い
2016年、JOCの「アスナビ」で出会い、城北信用金庫に就職した。
面接では、小学校から高校まで無遅刻無欠席だったことをアピールし、美容師を辞めてスキー競技に打ち込む覚悟を熱く語った。
社会人になってからは「お金をもらって好きなスポーツをさせてもらっている」という意識が強くなったという。
「頑張ります、だけじゃダメ、結果を出さないと。だから背筋が伸びますね。このプレッシャーに負けちゃう人もいるかもしれません」
目指すのは、2年後に迫った平昌五輪でのメダル獲得と、その翌年の世界選手権優勝だ。
自ら作成したロードマップをもとに、焦らず、着実に歩みを進めている。

「メダルをとること。今はそれしか見えないし、それだけを見ていきたいと思っています」と、鈴木選手は引き締まった表情になった。

学生へのメッセージ
「スポーツを通して人との出会いを大切にするようになりました。成功する人は、良い出会いがあった人。就職も同じで、チャンスをつかむかどうかはその人次第なので、諦めずに前を向いて行って欲しいです。
頑張るのは自分のためだけではなく、周りにいて支えてくれる人たちのため。
そう考えられるようになると、社会人アスリートとしてやっていけると思います」

モチベーションアップする曲 チャゲ&飛鳥「PRIDE」
「高校時代のスキー部のコーチが、試合に向かう車の中でいつもかけていた曲です。フリースタイルスキーは音楽とともにある競技で、多くの選手が、競技中でもイヤホンを入れてます。私も、オフの時間にマイプレイリストをつくっています」

鈴木 沙織(すずき・さおり)
1990(H2)年1月9日生まれ
山形県出身
競技 スキー・フリースタイル/ハーフパイプ
所属 城北信用金庫 (2016年4月28日入庫)
主な戦績
2012年 コロラド FISレース 4位
2015年 アスペンオープン FISレース 3位
レボリューションツアー FISレース 優勝
ニュージーランド ワールドカップ 4位
デューツアー(世界選抜)8位
2016年 マンモスマウンテン ワールドカップ 4位


ライター紹介 只木良枝(ただき・よしえ)
モチベーションが上がる曲 ブライアン・アダムス/Summer of ’69

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