科学技術と社会の共創に向けたELSI/RRIの実践知
―パンデミックから考える科学との向き合い方
新型コロナウイルスのパンデミックは、学生生活、働き方、社会の仕組みまで、わたしたちの暮らしを大きく変えました。
入学式がなかった、サークルに入れなかった、友だちと過ごす時間が減ったなど、学生世代にとっても忘れられない数年だったと思います。
一方で、情報システム分野の進歩が一気に加速し、仕事をするうえでは、職種にもよりますが在宅勤務が可能になり、遠隔での打合せや会議は普通のことになりました。
その経験を“未来にどう活かすか”。
科学技術と社会の関係を研究するJST-RISTEX ELSIプログラム(RInCA)が、パンデミックに関わる4つの社会課題を研究し、その成果報告イベントを2025年12月6日、City LabTokyoにて開催しました。
イベントには多様な専門家が参加し、「次の危機に備えて私たちができること」を議論。
本記事では、その学びをRanRun読者に向けてわかりやすくレポートします。
パンデミックの経験をどう次世代に活かす?
プログラム総括の唐沢かおり先生(東京大学人文社会系研究科教授)は冒頭の挨拶で、「科学技術の開発の中で起こり得る様々な課題、それに対しどのような対策をとることができるのかを検証し、よりよい未来につなげようという活動をしています」と話しました。
RISTEX(社会技術研究開発センター)は社会と科学との関係に着目、自然科学、人文・社会科学、社会問題に取り組む多様なステークホルダーの知識や経験を組み合わせ、社会課題解決に資する研究開発を展開しています。
現在6つのプログラムの研究開発が進められており、そのうちのひとつELSIプログラム(RInCA)は令和2年度に立ち上がりました。
科学技術のELSI(倫理的・法制度的・社会的課題)に関する研究で、科学技術が社会に調和しながら持続的に新たな価値を創出する社会の実現を目指すというものです。

1・ パンデミックのELSI“記録と検証”が重要(京都大学・児玉聡先生)
京都大学大学院文学研究科 教授 児玉聡先生は「パンデミックのELSIアーカイブ化による感染症にレジリエントな社会構築」と題し、4年間の研究成果を報告しました。
2020年夏からプロジェクト企画調査を始め、2021年に研究開発プロジェクトとして本格化。
どのような議論がされ、どのような政策が作られていったのかをアーカイブ化し、次に活かす取り組みを進めました。
日本では罰則を伴わない「要請」が中心で、海外の強制的対応とは対照的でした。
なぜ、日本ではワクチン接種や外出自粛が強制されなかったのでしょうか。
一方で、子どもたちは学校に行けない時期がありました。
そのことが、今後の子どもの発達にどう影響を及ぼすのか、非常に重要な問題だと児玉先生は指摘します。
人文社会系研究者の役割を模索しつつ、アーカイブ構築と検証の重要性を強調。
英国の第三者委員会による政府対応の検証を例に、日本でも同様の取り組みが必要だと訴えました。

2・COCOAの事例から学ぶ、デジタル感染症対策(東京大学・米村滋人先生)
東京大学大学院法学政治学研究科 教授 米村滋人先生は「携帯電話関連技術を用いた感染症対策に関する包括的検討」と題し、COCOAアプリで見いだされた課題を踏まえた研究成果を報告しました。
プライバシーへの過剰な配慮により有用な機能が削がれ、十分な感染症対策に繋がらなかった点について指摘。
そこで次に感染症が起きた時のために、平時から準備しておくことの必要性を強調し、代替アプリ「Folkbears」の開発や感染対策アプリの社会的な受容可能性について、インターネットを通じた社会調査を実施しました。
さらに、どのような制度下であれば、位置情報や接触履歴などを感染症対策に活用できるかを分析し、法制度的な枠組みを検討。
その一環で、日本の最高裁判例に基づき、一定条件下ではプライバシー情報の活用が許容され得ることも示しました。
成果は『デジタル技術と感染症対策の未来像』にまとめられ、国際的にはドイツ・ミュンスター大学との共同研究へ展開。
今後もヘルスケアデータ関連法制度への反映と国民的議論の継続が重要であると述べました。

3・情報があふれる社会で“専門知”はどう介入する?(早稲田大学・田中幹人先生)
早稲田大学 政治経済学術院 教授 田中幹人先生は「現代メディア空間におけるELSI構築と専門知の介入」と題し、「マス」と「ソーシャル」のメディアが絡み合ったハイブリッド空間での議論のあり方を分析しました。
COVID-19をめぐる日本の対応は他国と異なり、科学への信頼度が低いにもかかわらず、ワクチン接種率が高いという矛盾を示しました。
大規模アンケート調査では、科学の手続きを重視する層、科学の政治経済的な背景に警戒する層、科学を闇雲に信頼する層が存在することを確認。
HPVワクチンの議論の変化を例に挙げ、ソーシャルメディアの論争を分析した結果、科学知識だけでなく副作用や不安に共感するコミュニケーションが重要だと話しました。
COVID-19への日本の初期対応は、比較的「成功」したと言えるかもしれないが、それは市民の同調圧力による側面もあったと指摘。
科学を踏まえつつ、市民の選択を尊重できる社会の仕組みを議論していきたいと結びました。

4・災害にも強い“リバーシブルな街”へ(東海学園大学・林良嗣先生)
東海学園大学 卓越教授 林良嗣先生は「Social Distancing による社会の脆弱性克服・社会的公正の回復と都市の再設計」と題し、土木工学・都市計画の視点から研究成果を報告しました。
世界交通学会のタスクフォースを基盤に、ソーシャルディスタンシングとフィジカルディスタンシングを整理し、コミュニティやインフラとの関係を分析。
外出率と所得の変化、政府への信頼低下と地域コミュニティへの信頼増加など社会的影響を明らかにしました。さらにQOL研究を通じ、交通アクセスやサービス提供の制約が生活に与える影響を検証。
交通アクセスで間引き運転がされたことで、病院に行けない、買い物に行けないなどの影響あり、特に子育て世代の40代女性のQOLが大きく変化しました。
東京23区に通う通勤者の9割が鉄道利用者でしたが、感染を恐れ車通勤に切り替えた人が多く、地球的環境への配慮が一気に逆戻りしたと指摘。
林先生は、平常時は効率的に機能しつつ、非常時には最低限のサービスを維持できる「リバーシブルな街」の必要性を強調。
個別条件ごとのQOLを可視化し、都市再設計に活かすべきだと結びました。

専門家のクロストークから見えた“日本の課題と未来”
第二部のクロストークでは、専門家ゲストを交え、2つのテーマで展開。
クロストーク前半のトークセッション「危機対応における技術・倫理・社会・法制度による日本モデル」では、児玉聡教授・米村滋人教授に加え、文部科学省科学技術・学術政策研究所の岡村麻子氏が参加しました。

岡村氏は科学技術予測調査の役割を紹介し、パンデミック再来に備えた議論をするには、科学技術や社会がどのように変化するかの想定が重要と強調。
特にAI依存でプライバシー概念がどう変わりうるかやインフォデミック等が課題と指摘しました
議論では、個人情報保護の在り方として、第三者審査組織の必要性や法改正の動きが示され、COCOAアプリが露呈した事例を踏まえ、危機管理における意思決定の難しさが語られました。
また、日本社会特有の同調圧力についてや、世代交代に伴う価値観の変化、人文社会系研究者の関与の必要性が論じられました。
さらに「何がまずかったか、何がよかったか」を検証し仕組み化する重要性、そしてDX化推進の方向性が共有されました。
検証とDX化が次の危機対応の鍵となりそうです。
トークセッション後半「ポストパンデミック時代の社会的分極と行動のメカニズム」では、田中幹人先生・林良嗣先生に加え、Future Center Alliance Japan理事でありデザインコンテンツ協会常務理事も務める加藤公敬氏が登壇しました。

加藤氏は、CSRからSDGsへと至る価値の進化、人間工学からインクルーシブへと広がる身体性の進化、コンピューターからヒューマンへと移る技術の進化、そしてデザインがプロダクトからデザインシンキング(社会イノベーション)へと展開してきた流れを示し、サイバーとデジタルが融合する新しい経済社会像を語りました。
議論では、インフォデミックにおいて、ワクチンを打たなかった人々がむしろ高いリテラシーを持っていた点や、感染者数のデータ信頼性が「場の設定」に左右されることが指摘されました。
さらに、科学未来館のミュージアムデザインラボを例に、科学者と市民の協働によるまちづくりの可能性が紹介され、台湾の災害対策に見られる「居場所と遊びの空間」の工夫も共有されました。
対面でのコミュニケーションが人を優しくするという視点も加えられ、次のパンデミックに備えた社会デザインの方向性が議論されました。
参加者同士が未来を語り合う「対話」セッション
第三部「科学と社会をつなぐ対話」では、第一部・第二部で得られた知見や気づきを踏まえ、参加者同士が次の危機や未来に向けて何をすべきかを議論する時間が設けられました。
科学技術の急速な進展と社会的影響、パンデミック対応における課題、そして分断や同調圧力といった社会的要素を振り返りながら、研究者・行政・市民がどのように協働し、持続可能で公正な社会を築いていけるかを探る場となりました。
単なる成果報告にとどまらず、未来志向の対話を通じて「科学と社会を結びつける仕組み」を模索することが、このセッションの大きな意義でした。


第三部は、知見を未来へと橋渡しするための参加型対話の場となりました。
「パンデミックに立ち向かうのは研究者だけじゃない!」
先生方は、パンデミックの中で人文・社会系の研究者がどんな役割を果たせるのかを探り、調査や分析から得られた知見をもとに、次のパンデミックや災害に備えるための提案をされました。
そこで出てきたキーワードは「検証」「コミュニケーション」「街づくり」。
どれも社会をよりよくするために欠かせない視点です。
そして市民の意思が重要なポイントであることを今回あらためて感じました。
林先生が提案される「リバーシブルな街」を作るには、市民の理解と意思を反映させたデザインが不可欠です。
制度設計においても、市民の意思を尊重したデザインをしなければ、同じことの繰り返しです。
「コミュニケーション」による相互理解。
私たちも、「日常の中で情報を正しく見極める」、「周囲と積極的に話し合う」、「地域の活動に参加する」など、小さな一歩から始められることがあるはずです。
あたなにとって「暮らしやすい社会」とはどんな社会でしょう。
「自分にできること」を考え、行動することで、よりよい社会を共創していきませんか。
取材 RanRun編集部 YUKI YANAGI
<登壇者プロフィール>

児玉 聡 京都大学大学院文学研究科 教授
東京大学大学院医学系研究科助手、講師を務め、2012 年より京都大学大学院文学研究科准教授に就任。
2022 年から現職の教授として教鞭をとる。
専門は倫理学・生命倫理学。
著書に『COVID-19 の倫理学』(ナカニシヤ出版)、『予防の倫理学』(ミネルヴァ書房)など。

米村 滋人 東京大学 大学院法学政治学研究科 教授
2000 年東京大学医学部医学科卒。研修医として東大病院等に勤務の後、2004 年東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。日本赤十字社医療センター循環器科勤務を経て、2005 年より東北大学大学院法学研究科准教授。以後、法学の教育・研究を行う傍ら、循環器内科医として診療にも従事。2017 年より現職。
専門は民法・医事法。
コロナ禍以降、感染症対策の法的課題を研究テーマの 1 つとしている。

田中 幹人 早稲田大学政治経済学術院 教授
2003 年、東京大学大学院修了(博士(学術))。
国立神経研究所流動研究員等を経て 2021 年より現職。計算社会科学や科学技術社会論をベースに、科学的リ
スク情報がマス/ソーシャルメディアを通じてどのように議論されているか、どう議論されるべきかなどの問題の研究をおこなっている。
COVID-19 渦中では、コロナ専門家有志の会、厚生労働省アドバイザリーボード、東京都 iCDCなどのメンバーとして関与した。

林 良嗣 東海学園大学 卓越教授
経済成長・成熟・衰退、人口急増・少子高齢化の国の経済と人口の発展段階に応じたサステイナブルで、かつ、気候変動、大災害やパンデミックに対してレジリエントな都市の形、インフラ、ライフスタイルを、欧米、日本、アジア発展途上国で再構築する研究を進める。
現在、「成長の限界」(1972)で知られる世界 100 余名の正会員で構成する「ローマクラブ」の中央執行委員、70 数カ国から 1,000 余名を集める世界交通学会の会長(2013-19)等も歴任。

岡村 麻子 文部科学省 科学技術・学術政策研究所 主任研究官
文部科学省科学技術・学術政策研究所科学技術予測・政策基盤調査研究センター主任研究官。
これまで、大学、ファンディング・エージェンシー、国際
機関等において、科学技術イノベーション(STI)政策研究・実務に従事。2020 年 12 月より現職。
現在は、フォーサイト(未来洞察)や科学と社会の指標開発等に取組む。
第 12 回科学技術予測調査ではビジョニング調査及び未来
シナリオ作成を担当。

加藤 公敬 一般社団法人 Future Center Alliance Japan 理事
一般財団法人デジタルコンテンツ協会 常務理事
一社)日本デザインマネジメント協会(JDMA)常任理事 /物学研究会 ディレクター /公財)日本デザイン振興会 グッドデザインフェロー /芸術工学会 名誉会員 /九州大学 非常勤講師
1977 年、九州芸術工科大学(現 九州大学芸術工学部)卒業、富士通株式会社に入社。
情報機器やシステムの進化に対応して、プロダクト、スペース、ユニバーサル、ウェブ、サービスなど様々な分野のデザインを担当。2001 年~総合デザインセンター長、2007 年~富士通デザイン株式会社を設立(初代 代表取締役社長)、2012 年~富士通株式会社 マーケティング改革プロジェクト室 SVP(デザイン戦略担当)として本社マーケティング(ブランド、広報 IR、宣伝)活動に参画し、全社「デザイン経営」を実践。2017 年~2021 年、公益財団法人日本デザイン振興会常務理事。
現在、「デザインの思考」「目的工学」「ソサイエタルデザイン」によるイノベーションの実現や加速等に取組んでいる。
<司会・進行>

本田 隆行 科学コミュニケーター
神戸大学にて地球惑星科学を専攻(理学修士)。地方公務員(枚方市役所)事務
職、科学館(日本科学未来館)勤務を経て、国内でも稀有なプロの科学コミュニケーターとして活動中。「科学とあなたを繋ぐ人」として、科学に関する展示企画、実演の実施・監修、大学講師やファシリテーター、行政委員、執筆業、各メディアでの科学解説など、なんでもこなす。
著書・監修に『宇宙・天文で働く』(ぺりかん社)、『もしも恐竜とくらしたら』(WAVE 出版)、『知れば知るほど好きになる 科学のひみつ』(高橋書店)、『科学のなぞとき マジカル・メイズ』シリーズ(ほるぷ出版)など多数。www.sc-honda.com

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